大江さんのNHK出演。

大江さんの『読む人間』を読み返していたら、サイードと繋げるかたちで引用される
シモーヌ・ヴェイユの言葉が眼にとまった。

≪……わたしは、独りであり、例外なしにどのような人間的環境とも無縁な、追放された状態にあることが、自分にとって必要であり、またそう命じられているのだと言う気がするのです……≫

この言葉とつないで考えると、岡さんの『難民』という言葉も、しっくりくる。
≪まず、難民になること−このような出来事のすべてが起きてはいけないところとしての祖国、いまだ実現されざる祖国への帰還を他者とともに夢みる難民に≫


NHKで大江さんが石川啄木の名前を出して話をしていた。柄谷さんの講義でも、同じ名前が使われていた。
二人が良く似た場所で考えているのだなと思って、面白かった。

    ……
柄谷行人の『終焉をめぐって』は、あとがきによれば、おもに1989年に書かれたエッセー、文芸評論ということになる。
大江健三郎を主題的に取り上げたエッセーが2つあるということで、私の関心を特に引くという事もあるわけだ。

万延元年のフットボール』について、こんなことが書かれる。
≪事実一九六九年には「想像力の革命」といった言葉が流行したのである。これは一九六〇年にはなかった。−中略−その意味で大江は予見的であったといえる。この予見性は、この作品が未来に対してではなく、過去に対して、特定の時点を越えようとしていたところからくる≫

予見性ということでいえば、『洪水はわが魂に及び』にも、それが現れているということは、読書会でも話されていたように思う。

しかし今私が想いをめぐらすのは、むしろ『終焉をめぐって』の大江健三郎に対する予見性である。
≪私がサイードさんと最初に言葉をかわしたのは、一九九〇年のことです≫
   『読む人間』p211
もちろん、それ以前に名前と仕事については知っていたとありますが。
大江さんのそれ以後の仕事、関心が、「晩年の仕事」「レイトワーク」へと集中していくことになるわけですが、『終焉をめぐって』で、大江さんの「懐かしい人への手紙」について、ヘーゲルを引きながら、書かれるエッセーがいわば「老年論」なのです。
柄谷は大江と同様の予見性を当の大江さんに対して示しているといえましょう。

別段付け加えることがあるわけでもないのだが、私に興味深く感じられたのは二点。
『読む人間』における、マサオ・ミヨシさんとのくだりとの関連。
ミヨシさんの言葉
『……長い間、僕は大江さんとは対話を維持していると考えてきました。だが、今やそれは僕の誤りではなかったかと感じ始めています。彼は会話したりはしない。彼は話が好きだし、非常に上手です。しかし他人の話には、耳を傾けないのではないでしょうか。自分では聞いていると思っているかもしれませんが』
柄谷が引用するヘーゲルの言葉。
『ある人間が教養がある人間であればあるほど、それだけますます彼は直接的直感の中に生きているのではなくて、自分のあらゆる直感の場合に、同時に想起のなかに生きているのである。それで彼は新しいものをほとんど全く見ないで、たいていの新しいものの実体的な内実はむしろすでに熟知されたあるものなのである。教養がある人間は同様に特に自分の心像に満足し、直接的直感の必要をほとんど感じない』

大江さんのみずからのスタイル(人と話すときの)への解説によれば、
≪つまり私は、現実に人と話すときにも(小説を書くときにもそうだ、とは先に言いました)「読む人間」であって、心から今現在の会話に学び、その話し相手とともにあることを楽しみながら、時に私は目の前の本人よりも、その人の書いたものとして自分の知っている、かれの本の全体と、全く自己本位に話を展開していたのです。≫『読む人間』P248
『対話する人間』ではなく『読む人間』だからといってしまえばそれまでですが、ミヨシさんが、大江さんと「会って、話すこと」を拒否した理由は、大江さんには、すでにその必要性が消失している、あるいは、最初から持たないという判断でしょう。

   ……
しかし柄谷行人にむしろ強くヘーゲルを感じると指摘する人もいる。
テレビを見て確かに繋がる要素も多いのだなと思った。