赤毛のアンの案

発表から100年たって、記念年的な取り上げられかたをしたこともあってか、新たな読者を見つけつつあるようにも思える、いまや児童文学の古典ともなった『赤毛のアン
孤児院からグリーンゲーブルスにやってきたアンに、マリラが3枚の服を与える。
そのときのアンの台詞がいい。
「それは、その、可愛くないんですもの」
マリラの実用性を重視した服の仕立てに対する異議申し立てである。

モンゴメリーが使った英語は「pretty 」だが、私はさしあたり、プリティというとプリティ長島氏を思い起こしてしまうので、ここはやはり「かわいい」がぴったりだと思う。
この100年間、人類!?は「かわいい」を追い続けたのではないかという気がする。
いまや多くの対象が可愛いか可愛くないかで、判定されていく。
麻生さんも小沢さんも可愛く見せることを意識している。可愛さは細分化され無数のキャラを生み出している。
モンゴメリーの先見性というか、アン・シャーリーの大勝利である。
訳者の松本さんは、あとがきというか解説で、家父長制という言葉などを使って、フェミニズム的な読みを示し、女性週刊誌的な『赤毛のアン』の取り上げ方に異議申し立てをしているが、あとの祭りの反対で、これだけの大勝利のあとで、なにかしら付け加えることもないという気がする。
作詞家の阿久悠氏は「凛としているか、凛としていないか」、作家の村上春樹は「シックか、シックでないか」という代案を示したこともあったが、「可愛いか、可愛くないか」ほどの力を持ちうるにはいたってないように思う。

さてつぎの100年はどうなるのでしょう。