公共図書館の新しい夜明け。

《小学校の学区単位毎に何人かの地域委員を選び、選ばれた委員が自分たちの町づくりに当たる。委員を選び出すのは、自ら手を挙げて登録した選挙人。当選した委員は福祉、洪水対策、公園の管理などのテーマを決め、それに市が予算をつけて、委員会が執行することになる。》http://www.j-cast.com/tv/2010/02/12059973.html

名古屋市での河村市長を中心とした取り組みなのだけど。
選挙人システムにいささか癖があるが、市民参加型の新しい行政の形として可能性を感じている。

なんていうか「図書館の管理」にテーマを決めれば、これは『「図書館委員会(ライブラリー・ボード)」』に近いものになりそうではないですか?


「図書館委員会(ライブラリー・ボード)」というアイデアについて、もそもそと考え続けてきた。

図書館委員会という考え方自体に不満はないし可能性も感じているけれど、図書館と利用者・市民間の関係を変えていく力はおおいにあるとして、公共図書館が地域のなかで果たす役割や、立ち位置にドラマティックな変化をもたらしうるかというと、いくらか弱い感じがする。

そこで、図書館委員会ばかりでなく、教育や介護や雇用などなどの町づくりにかんする市民による委員会を、図書館館区?単位で作っていけばどうだろう。

それらの委員会の議場として、図書館の視聴覚室兼会議室兼コーラス練習室を提供するのみならず、多くの委員会からの資料要請や調査要請に図書館員が応える形になれば。(国会図書館の地域版のように)、そして、地域に関心を持たざるを得なくなった市民に(なんといっても自分たちで決めていかなくてはならないのだから)基本的な地域情報を提供する役割を公共図書館が担うようになれば。
公共図書館は、かつて夢見られた民主主義の基礎的な機関として、機能し始めるのではないだろうか。
『社会と個人の自由、繁栄および発展は人間にとっての基本的価値である。このことは、十分に情報を得ている市民が、その民主的権利を行使し、社会において積極的な役割を果たす能力によって、はじめて達成される。建設的に参加して民主主義を発展させることは、十分な教育が受けられ、知識、思想、文化および情報に自由かつ無制限に接し得ることにかかっている。
地域において知識を得る窓口である公共図書館は、個人および社会集団の生涯学習、独自の意思決定および文化的発展のための基本的条件を提供する。』
    ユネスコ公共図書館宣言 1994年

なんてことを考えていたのだが、現実化する可能性については、疑問符が23個ぐらい続きそうな感じだった。
そこに飛び込んできたのが、名古屋市の取組みだった。
うまくいけば可能性はある。

限定的な民主主義社会の公共図書館が限定された役割のみを果たすことになったのはある意味で当然のことである。貸し本屋に甘んじていたのは、まあ致し方ない。
しかし、橋本真也の名台詞を借りれば、そろそろ「時は来た!」んじゃないかしら。
公共図書館黄金時代の。

PS
目に触れる情報のいくつかが実に気の滅入るものだったので能天気な話を書いてみました。