新年の挨拶にかえて

この文章は去年の秋ごろに書いて、結局お蔵入りになったしょうもないものである。お蔵入りになるだけあって、全体にまとまりや論理的な積み重ねといったものがかけている。
しかし年が明け、しかもあっという間に一月が過ぎてしまったいうこともあり。新年の挨拶代わりに、アップすることにした。
1Q84 BOOK1 』のデータを集めたのは、10月の初旬ではなかったかと思う。なにをいまさらなんだよ、とわれながら思わずにいらねないところではあるが。

それにしても、考えているうち、より関心を惹く別のことにであうと、最初に考えていたことへの関心が薄れてしまうという、関心の持続力の不足はいかんともしがたい。このまま落ち着きのないおじいさんになっていくのかと思うとやれやれである。九割九分は私固有の問題だが、それはそれ、昔風の風格のあるお年寄りが減少しつつあることも事実ではないかしら。今現在の首相と昔のそれ(たとえば佐藤栄作)を比べると、なにかしら中高年の質が変化したことはいなめまい。まあ、昔は風格を演出するシステムがいまより機能していたということかもしれないが。プロレスラーなんかもそういえばそうだ。

昔、二十歳のころ、友達のあいだで、おれたちも年をとったら、演歌を聴くようになるのか?は、基本的な謎の一つだった。いま図書館でカウンターに立ち、私より年配のかたが、ハイロウズなんかを借りていく場面に立ち会うと、答えはひとつ出たと思う。
われわれは死ぬまでポップミュージックを聴き続ける。
シングル1枚でも、アルバム1枚でもいいが、私の精神の集中力は、おおむねその程度の時間しか持たない。


♪真夜中のラブコールはコイン1枚 タイムリミットの 3分間かけてみるわ♪
3分間の様式美っていうのはポップミュージックの基本ではあった。
音が薄いとか、ぱくり気味とか、映像が安いとか(撮ってんの、村上龍だよ って、誰かにうそをつかれたら、私は信じちゃうな)、文句のつけようはいろいろあるかもしれないが、良い曲だと思う。
この曲を聴くと、午後11時を過ぎたあたりのぱっとしないボーリング場を思い浮かべてしまう。雰囲気を喚起する力という意味で、スプリングスティーンの「ストリート」に通じるものを私は受け止めてしまう。


ついでに去年私が読んで、いまのところ、私には役に立っているとは思えない本を1冊あげておく。

「超」文章法 (中公新書)

「超」文章法 (中公新書)

本のなかに、プロレタリアートの位置づけについて触れた数行があり、私の関心はそちらに移ってしまったのだ。トホホ

それではみなさん、今年も良いお年を。


   読まずにすませ!私の長い文章!!
………以下の長い文章はおおむね次の2つのアイデアに収縮します。


1 人口の少ない県は、共同で、セカンドライブラリーを作ろう。
 例『高知県は、愛媛県香川県徳島県に呼びかけて、セカンドとして「大四国共同図書館」を設立しよう』

2 電子書籍の貸出サービスは自治体ごとで取り組むのをやめて、国立図書館から国民への直接サービスに移行しよう。



いやぁ良かった良かった。

ということで、この先に目を通す必要はもうありません。



   ………

『ファーストアクセスライブラリーとセカンドアクセスライブラリーについて。
   …ファーストって、どんな子なの? あらため セカンドってどんな子なの?
       市区町村立図書館と都道府県立図書館の揺らぎ』


    1
そもそも図書館を階層化する理由は、経済性と効率性と利便性を求めてということになる。

文化財的資科を後世に遺していくという保存の役割があることから、利用が減少したからといって簡単に廃棄は出来ない。一方、稀にしか利用されなくなった資料を、利用頻度の高い資料と混配することは、書架スペース上の管理コストが極めて不経済であり、かつ、利用頻度の高い資料の利用効率も悪くなる。そこで利用頻度が低くなった資料や重複する資料を書架から抜き取り(weeding)別置することにより、利用度の高い資料がより利用しやすく配置できるだけでなく資料の利用効率を高めることができ、高水準の図書館サーピスも可能となる。》http://wwwsoc.nii.ac.jp/anul/j/publications/reports/44/44_11.html

これは大学図書館の資料の廃棄について述べられたものだが、資料の収集・保存やレファレンスについて拡張しても(利用がまれだと推測される資料をファーストが積極的に収集することは難しいというふうに)、公共図書館、特にファーストとセカンドの機能分担に関する、理論的根拠となる考え方だと思う。
また、階層化が施設の側だけでなく、利用者にとってもメリットになることを確認しておきたい。《利用度の高い資料がより利用しやすく配置できるだけでなく…》

構成的には医療のシステムに似ている。体調が崩れたとき、人はまず近所の開業医を訪れて治療を受ける。そして大方の病気はそこで回復するが、それが困難なとき、高度で総合的な専門性を持つ大学病院などに治療の場所を求めることになる。
軽度の大量の患者と重度の少数の患者に、適切な治療を行おうとするときに、この階層化の方法は優れている。

階層化がそれぞれの階層の担い手に、それぞれの役割や機能を与える以上、安易にそれをひとつにすべきではない、というのが、県立・市立の合同案に反対する側の一般的な立論の筋になるだろうと思われる。

    2 だが…
それにしても高知ってよく知らないな?ということで、ちょっと調べてみました。
いちおう、定点観測的に1Q84 BOOK1 村上春樹著の所蔵状況などとあわせて。

高知県立図書館 図書収蔵能力 約30万冊
総人口 772,447人 面積 7,105.15km2
所蔵数4 在庫 0 予約2

高知市民図書館網 図書館・図書室合わせて22
総人口 340,605人  面積 309.22km2
所蔵数 22 在庫数 0 予約数 78

土佐市立市民図書館網 3館(本館1分館2)
総人口 29,030人 面積 91.59km2
所蔵数:3冊 貸出数:1冊 在庫 2 予約数:1件

仁淀川町中央公民館図書館 
総人口 6,917人 面積 332.96km2
仁淀川町立中央公民館3Fに図書館があります。
町民の方は貸し出し無料で利用できます。
およそ5000冊の図書のほか、2ヶ月に一度には高知県立図書館の自動車文庫で100冊ほど、県立図書コーナーの図書を入れ替えしています』
公民館図書館のページはこんな感じです。
http://www.kochinet.ed.jp/niyodogawa-t/ed/reading.html#tosho


ついでに東京都と神奈川県の場合も。
東京都立図書館
総人口 13,044,818人 面積 2,187.65km2 
所蔵1冊 貸し出し不可!!!

世田谷区立図書館網 16館
総人口835,918人 面積 58.08km2
所蔵数:82冊 貸出数:82冊 予約数:1448件
(中央図書館とその保存庫を合わせて 総資料数42万冊)

練馬区立図書館網 12館
総人口 714,520人 面積 48.16km2
所蔵数:54冊 貸出数:54冊 予約数:1436件

調布市立図書館網  11館
総人口 224,812人 面積 21.53km2
所蔵数:26冊 貸出数:26冊 予約数:934件

日の出町立図書館網 本館1 分室1
総人口 16,526 面積 28.08km2
所蔵数:1冊 貸出数:1冊 予約数:6件


神奈川県立図書館
 総人口 9,028,285人 面積 2,415.84km2
所蔵数2冊 内1冊常置 貸出数1冊 予約数61件

横浜市立図書館網  18館
 総人口 3,680,503 面積 437.38km2
所蔵数114冊 貸出数114冊 予約数2942
港北区 総人口 326,286人 31.40km2
に図書館はひとつみたい。)

葉山町立図書館 1館
 総人口 32,503人  面積 17.06km2
所蔵数:4冊 貸出数:4冊 予約数:32件

四国のほかの県立も
徳島県立図書館 10冊  3件  784,493人
愛媛県立図書館  1冊  6件 1,430,086人
香川県図書館  8冊 131件  996,667人
四国4県の総人口は、409万人である。


その人口の偏り方から、高知県は日本の縮図なんだろうなと思います。

いささか強引ですが、対応関係は
高知県=日本
高知市=東京都(あるいは都市圏)
土佐市高知県
仁淀川町仁淀川町
ということになります。

それにしても廃藩置県後、いくらかの変更があってのち、1890年にほぼ現在の都道府県の枠組みが確定したようなのであるが、以後120年を経て、もうどうにもならなくなってしまっていたんだなとあらためて思った。
ということで、もう無理なのね。いろんなことが

そもそも、この偏りこそ、われわれが目指し、時間をかけて、手に入れたものなのだ。
地方自治法8条の2と3を参照すると
2.当該普通地方公共団体の中心の市街地を形成している区域内に在る戸数が、全戸数の6割以上であること。
3.商工業その他の都市的業態に従事する者及びその者と同一世帯に属する者の数が、全人口の6割以上であること。

おお、あなたの望んだ世界。

それにしても、仁淀川町。今回の私の最大の発見である。結局私は、生まれてこの方ずっと基本的に都市生活者であり、公共図書館に不自由することがない幸運な人生を歩んできたのだ。
日本の人口統計をさっと調べて見るかぎり、おおむね日本人の150人に1人は「仁淀川町」に住んでいるみたいである。
公共図書館が、情報や知識のセーフティネットという役割をになうなら、『仁淀川町』抜きに図書館サービスを考えることはできまい。

   3
東京都世田谷区の人口83万人は、福井県徳島県高知県島根県鳥取県を超えている。世田谷区の図書館網、および中央図書館、保存庫のスケールは、すでに高知県立図書館のスケールを越えてしまっているのではなかろうか。人口から考えれば、当然といえば当然なのだが。
また、都立図書館がセカンドとして、『1Q84 BOOK1 』の収集に関して、一本筋の通った対応を示すことができるのもファーストが充実していることによる。
階層化の効果が実感できる良い例であろう。

サッカーでいえばGKが国立だとして、東京ー世田谷では、都立がDF、区立がMFとFWをというフォーメーション。
高知ー仁淀川町では仁淀川町がいささか非力な1トップ、残りのDFとMFをすべて県立で固める図式になっている感じである。
この現実を踏まえて、原理原則や理念で、高知県立図書館について語ることは困難であろう。

   4そこで考える
試案1

高知県の話。
高知県は、愛媛県香川県徳島県に呼びかけて、セカンドとして「大四国共同図書館」を設立しよう。四国4県の総人口は、400万人ほどであり、横浜市より40万人多いだけなのだから。このくらいのスケールになれば階層化の効果が効いてくるのではなかろうか。
四つの県立図書館あわせて23冊ある『1Q84 BOOK1』を1冊に減らして、22冊分の資料費や保存費を、四国のそれぞれの小さなファーストの予算にまわそう。理論的にも、「利用者」にとっても、それは理にかなっているのではなかろうか。

試案2
そこで。
近未来に目を向ければ、出版界が変革の時期を迎えている以上、今後の図書館の資料も、当面、オンペーパーとオンライン(インターネット回線のみならず、集積回路のラインも含めて)の二本立てが進んでいくと思われる。収集や利用のある部分が、オンラインでも行なわれるようになれば、ファースト=市区町村立という図式にとらわれることもないだろうと思う。

堺市の図書館がNECのシステムでサービスを始めるという記事が先日出ていたが(http://cloud.watch.impress.co.jp/docs/news/20101222_416363.html)、国民のすべてにできるだけ公平・平等な図書館基礎サービスをと考えるなら、オンライン部分(電子書籍貸出)に関しては、国立図書館が国民に直接資料提供を行なっても悪くない気がする。ファーストの一部機能移転ということになるが。コストパフォーマンスでいえば、そのほうが有利な気がするのだが、素人考えというものだろうか。
仁淀川町」民にできるだけ早く、できるだけ充実した図書館機能をと考えれば、図書館建設費をどこかからかき集めてくるよりは、むしろ現実的ではないかと思う。
国に権限や機能が集中することを好まない、そういったタイプである私だが、知る権利や知る自由の公平さをめぐる議論になれば、国立普及を要望する「仁淀川町」民には勝てまい。

しかしオンラインブックを国立図書館に譲り渡した「近所の図書館」に残るのがオンペーパーの資料だけだというのは悲しい。プラスアルファ、近所の図書館だけに可能なサービスを、いまのうちに吟味し整えておくことは重要だろう。
もちろん、国立にも改革の必要性はある。いわゆる全点保存は、セカンドとの重複を含むから、現状では、効率性という観点から見るかぎり、無駄が多いのは間違いないのだ。


   4
日本人男子の身長の伸びが今年になって止まったときく。あるしゅシンボリックなことだと思う。もうでかくなるのはあきらめて、別のやり方を探し始めるときなのだろう。
江戸時代を振り返れば、それは案外日本人向きの時代ではないだろうか。洗ったり練ったりして磨いていくことが「洗練」であるのなら。とにかくいちど、洗い落とせるものは洗い落としてみては。


ps
1上記サイトで。
《廃棄を困難にさせている理由として、
 ・個々の資料について不用・廃棄の是非の合意が得られない
 ・手続きが煩雑である
 ・規程類が未整備である
 ・他大学等の図書館で保存されているという保証がない
の順となっている。》
最後の《他大学等の図書館で保存されているという保証がない》が公共図書館において、重要だと思う。これもまた、セカンドライブラリーの存在意義と密接につながってくる問題であろう。


村上春樹のファンにとっては、大都市に住むことが単純に有利な選択とはいえないというあたりが面白い。結局、ファーストは全体として大量の「複本」を抱えることがその任務であり、単館(あるいは単館網)の複本の多少を問題視することは、意味がない。批判を気にせず、必要ならばがんがん購入して欲しいものである。


ここに来て、「大活字」版の『1Q84 BOOK1』の蔵書も増えていて、順番待ち的には「大活字」版のほうが有利だったりする。いちおう情報として利用者にお伝えしたりもするのだが、微妙といえば微妙かも。(ここに来て大活字版の『1Q84 BOOK1』の製本に難があって、ページが外れるなどの問題に出版社のほうで対応を始めているようである。いや、なんとも大変なことなんですね、1冊の本を出版するということは)

4なんというかこのところの私は基本的に低調ですが、まあ、元気です。