You are the Jboy

このところずっと放っておいたブログですが、わけあって、12月からいくらかまとめて記事を書こうと思っています。
そこで肩慣らしの意味で、昔の下書きにいくらか手を入れた記事をアップしておこうと思います。

近況的なことを書いておくと、この放置期間の私としてのICT?的な変化は、パソコンのOSをXPからUbuntuに変えたことでしょう。
公共図書館の基本的な原則、その利用は無料である、に則ったOSとして、ウィンドウズよりもリナックス系が望ましいと考え、最も初心者向きとおもわれたUbuntuに移行しました。(まあ、あいかわらずおっちょこちょいな)
この投稿もUbuntu発?です。
最初はファイルの移動もままならず、あなたには権限がありませんとか言われて、お前は俺のパソコンだろうとぼやき返すありさまでしたが、ようやく日常的な使用には、ストレスを感じなくなりました。
GIMPInkscapeなども少しづついじってみたりしています。
下の画像は、はじめてInkscapeで作ってみた物。

DrupalというCMSを使ったサイトめいたものを構想しているのですが、そこで、シンボルマーク的に使おうと思っているものです。
Drupalはどうも基本的な日本語情報が乏しく、暗中模索といった状況で当然エネルギーはそちらに集中すべきところではあるのですが、のんきにシンボルマークなぞつくってみるのが私の性格なのでしょう。



以下は下書きから。
横芝光町立図書館事件のときに書いたものですが、全容が明らかになるまでは、いい加減なことを書くのはよそうと思って(私はそれを岡崎市の事件の時に学んだ)そのままオクラ入りになったものです。

あれから二ヶ月たったんだなあという感じですが、公共図書館的には大規模な惨劇だと思われたこの事件ですが、おおむね上記パソコン絡みの忙しさでフォローできていなかったので、その後の経過など、解説している文章などがあったら教えてください。
水増しという倫理的な問題だったのか、統計処理上の技術的な問題だったのか。

   …
横芝光町立図書館の問題をhatekupoさんの記事で知りました。
千葉日報では水増し事件と報道されたものですが。

私がこの記事を読んで、最初に思ったのは、自分に水増し?が可能かということでした。それもできれば明日から。
[開館から15年間で計約89万冊分]ということは、平均すれば年間6万冊。
年に200日でとすれば、1日300冊。
本を15冊書架から集めてきて、カウンターに並べて、貸出スキャンでバーコードを読み取って、すぐに返却スキャンで返却を済ます。
これを20回繰り返せば、一番基礎的なデータのレベルで、300冊貸出数を増やすことが出きるだろう。
慣れれば、10分かからずに終えることができる作業であると思えた。返却してしまえば、貸出者の記録は消えるので、足もつかない。1冊1日20回の貸出は不自然だが、あまりに想定外のことなので、誰かがそれを調べてみることもないだろう。

この場合、15冊のセレクトが重要で、難解な学術書(そもそも貸出数が少ない本)を選ぶと、「ベストリーダー」の統計に不自然さが現れかねない。
さてどうしようと考えて、思いついたのが『怪傑ゾロリ』シリーズでした。もともと貸出数の多いシリーズですから、多少貸出数が増えても不自然ではないし、シリーズとして本の絶対数が多いので、何冊かは書架に本が残っているから、集めてくるのも簡単。同様の理由で「パスワード」や「忍たま」も候補に上がるでしょう。

[町社会文化課によると、09年度の貸出冊数は一般図書が約27万4千冊、児童図書が約24万8千冊。10年度は一般が約17万5千冊、児童が6万8千冊。]
児童図書の減少がいちじるしいところから、私は私のアイデアの方向が間違ってないのではないかと思いました。たぶんこのての児童図書に、一般書からは同様の理由で池波さんや司馬さんの本が選ばれたのではなかろうか。うむ、私でも同僚の目をかすめて、何とかなるかなと思ったところで、気づいた。
水増し?の最盛期にはちょっと無理だ。最盛期には28万冊の水増し?をしなくてはならないことになるから、1日1400冊!
こうなると日常業務だよなあ。

   …
私が9月の時点で、そして今でも、気にかかるのが、この退職した職員のその時間の重みです。
人生でもとも活気に溢れているであろうその期間を、今彼はどのように思い返しているのだろうか。
思いついて聴き返してみたのがこの曲です。

♪掲げてた理想も今は遠く♪
これはこの事件だけの話ではありません。
勧められて?読むことになった本に、「貸出重視」に触れた部分がありました。

《67年8月、第14回図書館問題研究会大会(富山大会)は「公共図書館にとって、全域の住民に奉仕するのは基本であり、それは貸出しを通じて初めて可能となる。」(図問研『会報No85 1967.10,p.6』)と「貸出し」を重視する方針をかかげた》
 『大沢正雄60年代の東京の図書館を語る−薬袋秀樹著『図書館運動は何を残したか』をめぐって−』35ページ  

ここでは貸出しが、全域サービスという公共図書館の目的のための、当時としての最良の手段として選択されたのだということが示されています。
手段であったものが、目的化してしまったところが、日本の公共図書館にあるいびつさをもたらしてしまっているのは間違いないように思います。
新たな夢(理想)を、もう一度、みること。
そんなことが必要ではないでしょか。